夏休みは思い出の国へ

トルコ東部の子供たち_1991年 旅の記憶
すぐに子供たちが集まり写真を撮ってくれとせがむ

トルコ東部の子供たち_1991年

すぐに子供たちが集まり写真を撮ってくれとせがむ(トルコ東部)


最高の味って何だろう。
思い返してみれば、すぐにいくつもの美味が頭をよぎる。
決してグルメではないけれど、うまい肴で酒を飲むことが至上の喜び。好奇心に任せて時には身分不相応な散財もした。
しかし最も旨かった物と問うたとき、心に浮かんでくるのは高級な店でもなければ食材でもない。
20年以上前に寂れた食堂で食した一杯のスープ。これが今でも忘れられない最高の味。
シリアのアレッポからバスで国境を越え、ディヤルバクルというトルコ東部の街を目指していた。
小さな町でバスを待つ午後、薄汚れた食堂でパンとスープだけの侘しい昼食をとった。
メニューなんて代物はありはしない。その店にあるのは白濁したスープだけ。空腹だった。
羊と思われる内臓肉がゴロゴロころがったスープ。口にするとニンニクが強く効いた濃厚な味が五臓六腑に沁みわたった。
うまかった。なぜか感動した。
それはエジプト、ヨルダン、シリアとアラブ諸国を巡りトルコへと歩みを進めたときのできごと。
エジプトはともかく、当時のシリア・ヨルダンは外食文化があまりなく貧乏バックパッカーが入れる店のメニューは決まって鶏の丸焼きだった。毎日ひたすら塩味しかしない鶏を食べ続けていた気がする。
そしてなにより、プライドが高くて悪気なく嘘をつくアラブ人との付き合いにちょっと疲れていた。
そんな状況で出会ったスープ。もしいま食べたら違う感想かもしれないが、その瞬間は心の底からうまいと思った。
あれから様々な美味しいものを食すことができたけれど、イチバンは?と問われれば、どういうわけかトルコの田舎食堂の光景か鮮やかに甦ってくる。
トルコの世界遺産ネムルトダーゥ 1991

世界遺産ネムルトダーゥにて


トルコには3週間ほど滞在したが、トルコの旅は心地よく愉快。楽しかった記憶しかない。
同じイスラム圏だがトルコはアラブと違う。料理は比べ物にならないくらい種類が豊富で美味い。そして特に田舎は純朴で温かい人ばかりだ。
20代だった自分はトルコという国がとても気に入った。また戻って来ようと心に誓った。
時が過ぎ、トルコ再訪は実現されないまま思い出だけがふた昔の時を重ねてしまった。
しかし突然、今になってその思いが目を覚ました。妻が今年の夏休みはどうしてもトルコを訪れたいと言い出したのだ。
オリンピックの開催を東京と競い、EUへの加盟を目指すトルコ。きっと昔とは様変わりしているだろう。でも深く感銘を受けた国の現在を見に行くのも悪くない。
早速、いつの間にかスターアライアンスに加盟し、いつの間にか日本での呼称がトルコ航空でなくなったターキッシュエアラインのチケットを押さえた。
20余年の歳月はトルコだけでなく自分自身も変えているはず。そう、また違った新しい感動が必ず待っている。
期間は短いけれど久し振りのバックパック旅行が今から楽しみで仕方がない。学生時代の誓いがやっと成就する。
ボロい夜行列車に揺られてたどり着いた夜明けのイスタンブール。朝メシはガラタ橋のたもとの鯖サンドだった。パンに炭で焼いた鯖と生の玉ネギを挟んだだけのものだけど、これもまたうまかった。ヨーロッパの入り口に立ち感動した。
今の自分はあのシンプルなサンドイッチに何を感じるのだろうか。

コメント

  1. レオじじい より:

    若い時代のバックパッカー旅行を思い出してのトルコ訪問ですか?
    時代が変わり、経済情勢や政治情勢が変わって、きっと驚くことばかりではないでしょうか。
    楽しんで行って来てください。
    また、記事を期待しています。

    • たらば かつ男 気梨桂 より:

      レオじじい様 いつもコメントありがとうございます。
      インドやアラブに行った後だったからかも知れませんが、トルコは心が休まるというか心穏やかに旅ができました。
      もちろん、インドやアラブを悪く言うつもりはありませんし、両者ともにまた行きたいとは思っています。でもトルコは別格ですね。一言でいうと「純朴な田舎」という感じです。
      当時とは違うとは思いますが楽しんできます。(8月10日が大統領選挙なのが少し気にかかりますが・・・)