昨日は月命日。
ペッパーが旅立って早1か月が過ぎた。
家に安置している遺骨に花を手向ける。ひと月は意外なほどあっという間だった。時が過ぎ去るスピードに驚くともに、あの温かみと形を過去のものとしようとする自分に無情と悲しみを感じる。
もちろん、いまでもペッパーのことを思うと涙が浮かぶ。罪悪感か無力感か分からないが、言いようのない重石が胸どこかに詰まったままだ。
だけど、この一か月ペッパーのことばかり考えていたわけではなかった。悲しみながらもある意味普通に生活している自分がいる。
ペッパーのいない寂しさを噛みしめながら、自分は冷淡な人間だとつくづく感じてしまう。
もしかしたら、ペッパーに会えない悲しさに加えてペッパーを忘れていく悲しさに身悶えているのかもしれない。
このブログも書く気を失って1か月放置してしまった。
正確に言うと書く気はあったけど書けなかった。
ペッパーが亡くなるまでの1週間のことは、反省の念を含めてしっかり記録しなくてはと思った。でも、実際にはブログを開ける気にもならなかった。
本家のブログではつまらない記事を書き飛ばしたけど、この犬猫ブログで書くべき最後の1週間には手をつけられない。
四十九日には気持ちの整理をつけるためにも遺骨を納骨堂に納めることにした。
それまでには、ペッパーの最後を書いていこう。ペッパーを忘れていく悲しさに向き合うため、きっと必要な作業だ。
コメント